この支配からの卒業

ニコニコ動画を見ていると,いわゆるMAD作品の多さには目を見張るものがある.MAD作品とは,いわゆるパロディー作品の類である事は周知であると思う.この中には,とても芸術といえないようなものも多く見ら一方,素晴らしい作品も多く存在する.しかしながら,これらMAD作品は厳密に言うと「著作権違反」を行っているらしい.すなわち,我々の創作物の勝手な利用は,我々の財産を侵害する重大な盗用行為・海賊行為であり許されるべきではない,というのが彼らの論調である.


確かに,著作物・創作物は法によって保護されているが,彼らMAD制作者は一体全体,彼ら著作者の何を盗んだのだろう?例えば,ある人が,Tシャツを一瞬でたためるような裏技を発見して,それを別な人が真似をしたとする.すると,この別な人は,ある人の一体何を盗んだのだろうか?ここで,Tシャツを一瞬でたためる裏技を発見した人が,この技術に対して特許申請してしたとすると,もう,この技術は発案者の許諾無く自由に使えなくなってしまう.


話は少し変わるが,1991年にマイクロソフトビル・ゲイツソフトウェア特許の批判を行っている.その内容は「ソフトウェア特許は,将来の新興企業を排除する有害な権利である」と言うものである.有害かどうかは置いておいて,この排除するという内容はとても正しい.1991年頃に既に,この事実を知っていた故,ビル・ゲイツは何をしたかというと,将来の新興企業を排除するために,自分たちで特許をとりまくったのだった.ソフトウェア特許についてのビル・ゲイツの発言は「今日使われているアイデアを考案した人々が,特許はどのように認可されているかを知り,特許を取得していたとしたら,今頃この業界は完全に行き詰まっていたに違いない」というものである.


すなわち,著作権・特許などはそういったものである.つまり,どういう事かというと,著作権や特許とは,自分たちのアイデアの及ぶ範囲をコントロールし,さらに,将来の文化をもコントロール可能な権利である.これが可能なのは,創造性やイノベーションは過去のアイデアの上に成り立つという性質を持つものであるためである.過去のアイデア無くして全く新しいアイデアが生まれるようなら,このコントロールは有効ではない.


創造性・イノベーションは過去のアイデアの上に成立する.これは,あのディズニーをとってみても分かるだろう.ディズニーの創造的手法はいわゆる,焼き直しである.これはミッキーマウスの誕生となった「蒸気船ウィリー」でもそうである.「蒸気船ウィリー」は,当時のサイレント映画キートンの蒸気船(蒸気船ビル・ジュニア)」をアニメに焼き直したパロディ作品である.この他にもディズニーは,「グリム童話」や,「不思議の海のナディア」,「ジャングル大帝」などを彼ら流に焼き直し,昇華させてオリジナル作品として仕上げている.これ自体は別に貶されることではない.なぜなら,他の創造的作品も,このようにして作られるからだ.問題なのは,自分たちがインスパイアする行為には甘いのに,他者がディズニーにインスパイアされた創造的作品を作ることを許していないと言うことである.


別にディズニーだけが問題といっているわけではないが,過剰な権利者の保護,ちょっとしたインスパイアをも認めない規制は,文化の発展を阻害していると言えるだろう.ビル・ゲイツ流に言うと,先行する企業のみが,文化の創造性に寄与することを認めるということである.この状態は健全とは言えないだろう.全員がディズニー並みに権利を主張する世界などまっぴらごめんである.