似非科学批判は似非科学の信奉者を増加させるのに寄与している可能性がある

エセ科学批判が科学教と言われてしまうワケ
http://anond.hatelabo.jp/20081118173958

続 なぜエセ科学批判が科学教といわれてしまうのか
http://anond.hatelabo.jp/20081119001743

以上を読んだメモというか感想.


コミットメントと一貫性の理論では,人が何らかの行動を自主的に行った場合は,今後もその行動をとってしまう傾向が高いと言うことを説明している.人間というものは,全ての事象を瞬時に把握し,合理的な判断を下すことは出来ない.従って,人間が何かの判断を下す場合,過去の経験を元にしてヒューリスティックに判断を下すしかない.つまり,過去に行った何らかの自主的な行動は,自分にとってプラスになる行動であると見なされ,未来の行動の判断材料とされる.


コミットメントと一貫性は人の行動に対して非常に強い制約を課す.一度,自分が自主的に行動してしまうと,それからは,自分の中の一貫性を保つように行動してしまう.例え,それが如何に非合理的でばかげた行動であると他人から指摘されようともだ.


昔,似非ダイエット製品の商品説明会があった.主催者はその会場で商品の説明を行ったのだが,その説明は余りに非論理的であったため,ある参加者が理論整然とその商品の欠点を述べた.すると,何が起こったかというと,他の参加者達はあわててそのダイエット製品を買いに走ったのだ.商品に欠陥があり,ダイエットできないと説明されたにもかかわらずである.


後でその製品を買った人に聞いてみたところ,実は,当日は説明を聞くだけで買う予定はなかったと言い,さらに,その商品の欠陥もきちんと理解しているという.そう,彼らは,その商品の説明会に行き,その商品でダイエットをするという行動をおこしてしまっていたので,自身の一貫性を保つために商品を購入してしまったのだ.


車,株,異性,宗教,似非科学など,このような例は身近でも経験があるだろう.何かを信じている彼らに対して強く批判してしまうと,ダイエット製品の例を見るまでもなく,一貫性を保とうというバイアスが強くかかり逆にそれらを強く信じてしまうことがある.


科学的アプローチを用いて似非科学を頭ごなしに否定しても,何を根拠として信じるかは個人が過去に行ったコミットメントによって異なるため,科学教などと言われ逆に批判を浴びてしまう.それよりも,どのようなアプローチで似非科学が広まっていったか,または信じさせられてしまったのかを科学的に説明した後,科学的考察による反証を少しだけ入れる方が良いのではないか,そう思った.