新聞社で読者投稿欄の原稿修正をしてた者ですがを編集してみた
ここまで「捏造」するか大マスコミ
http://www.news.janjan.jp/media/0802/0802150846/1.php
新聞社で読者投稿欄の原稿修正をしてた者ですが
http://d.hatena.ne.jp/shields-pikes/20080217/p1
なんか、最近みんな、目立つ人や大企業に対して怒りっぽすぎるよね。まあ、これが格差社会ってことなのか。
叩かれまくりの倖田來未の騒動にしても、悪いのは倖田來未じゃなくて、収録番組なのにあの発言をカットしなかった番組ディレクターでしょう。
生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ。生の声は、結局は対面コミュニケーションか、アングラなメディア止まり。
政治家の講演会だって、生の声が録音されてそのまま外に出るだけで暴言扱いになる。もっと、編集の重要性を認識した方がいい。
逆に生の声なんて、どんなこと言ってもおかしくない、ってことでもっと大目に見るべき。
政治家も歌手も企業の社長も、しゃべりのプロじゃないんだから。逆に生放送、生発言の時代になると、しゃべりのプロだけがもてはやされる傾向を危惧している。なんか、ケネディの選挙の頃みたいな話だな。
最近の世間は、目立つ人や大企業にたいして怒りっぽすぎる気がするのは私だけでは無いはずです。これが小泉内閣の推し進めた、誰もが「自己責任」の下に切り捨てられる格差社会と言うことなのでしょうか?
例えば、倖田來未さんの「35歳以上の人は羊水腐っているから」発言についても、悪いのは彼女ではなく、収録番組なのにあの発言をカットしなかった番組ディレクターではないでしょうか?35歳以上のおばさん達やネットイナゴ達は過剰反応しすぎだと感じます。
生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんです。生の声は、結局は対面コミュニケーションか、アングラなメディア止まりとなってしまうのです。
政治家の講演会だって、生の声が録音されてそのまま外に出るだけで暴言扱いになってしまいます。政治家も歌手も企業の社長も、しゃべりのプロじゃないんだから。どんなこと言ってもおかしくない、ということでもっと大目に見るべきだと思います。
逆に生放送、生発言の時代になると、しゃべりのプロだけがもてはやされる傾向を危惧しています。まるで、ケネディの選挙やナチスドイツのヒトラーが台頭した頃みたいな話です。ネットが広く普及し始め、生の声が広く伝わる手段が登場しだしたのも結構ですが、今後の言論の革新のために、編集の重要性を再認識すべきだと思う次第です。
プロパガンダ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%91%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80
- レッテル張り:攻撃対象となる人や集団、国、民族にネガティブなイメージを押し付ける。
35歳以上のおばさん ネットイナゴ達 ナチスドイツのヒトラー
- 華麗な言葉による普遍化:対象となる人物や集団に、多くの人が普遍的価値を認めているような価値と認知度を植え付ける。
言論の革新のために
- 平凡化:コミュニケーションの送り手が受け手と同じような立場にあると思わせ、親近感を持たせようとする。
私だけでは無いはずです