スラッシュドットの「研究者はコードを公開すべきか」という記事に対するコメントが熱いことになってる

元記事(http://slashdot.jp/developers/article.pl?sid=10/02/11/0312255)はこんな感じ

科学者はその研究で使っているプログラムのコードを公開すべきであるとの主張が英Guardian誌で取り上げられている(本家/.より)。
このコラムで Open Universityの Darrel Ince教授は特に最近の気候科学分野での論争に言及しながら、コードが公開できる状態にあるのにそれをしぶる研究者は科学者と見なされるべきではないとまで述べている。

要するに,非公開の研究用コードを調べてみたら,おかしなところがいっぱい見つかったので研究者はコード公開すべきと述べている.

それに対して,こんなコメントが投稿された.

タイトル:公開したくないなぁ.

基本的に自分とその周辺しか使わないし、たとえメモリリークなんかのバグがあってもアウトプットが正しければ良いので、やっつけ仕事、コピペ継ぎ接ぎのかたまりです。
議論で公開しろと言われれば、しますけどね…
公開するならもう少し綺麗なコードにしたいし、その時間があるなら別のことをしたいというのが本音。

一応、プログラムが正しい結果を出すことはチェックしている…つもりなんですが…
学生さんに渡したプログラムに、卒論提出直前にとんでもないミスが見つかったことがあります。

この投稿者いわく,メモリリークなどのバグは混在しているが,アウトプットが正しければ全くもって問題ないそうである.しかしながら,プログラムのチェックは正しいとチェックはしているが,土壇場でとんでもないミスが見つかった事もあったそうである.

一方,このコメントに対して,「そもそも,メモリリークしてるプログラムなんて信用ならない」といった意見が投稿された.これに対する反論は「メモリリークしていることと,アウトプットの正当性という話は全く独立した話」といった内容であった.

たしかに論理的にはメモリリークは必ずしも,アウトプットの正当性に影響を与えないけれど,これはすごく極端な話であるように感じる.メモリリークが起きている原因が,継ぎ接ぎだらけのコピペプログラミングである上に,アウトプットの正当性もチェックしきれていない.どうみても,継ぎ接ぎプログラミングと,誰にもその正当性を判別できないコードに問題があるのは明らかである.このようなコードを見せられ,結果的に問題があるのはメモリリークだけで,アウトプットは大丈夫なんですよと云われても,とてもじゃないが信用ならない.

確かに,メモリリークは厄介な問題であり,すべてを潰すのは難しいかもしれない.しかし,その原因が別なところにあるとなると話は別である.それを差し置いて,「メモリリークがあるからコードを公開したくないなぁ」とはおかしな話である.という旨の感想は誰もが思い浮かぶところであるが,それに対する反論もしっかりコメントされている.

> 理想的にはその通りですが、現実としてはメモリリークしているようなお粗末なメモリ管理をしているのに間違った数値を出力しないなどという主張には全く説得力がないです。

ソースを公開したくないのは、まさしくこういう揚げ足取りへの対応が面倒だと思うから。

スゴイの一言だ.これはつまり,自分にコーディング能力はないし,コードの正当性もチェックされると困るし(だって間違いがばれるから)と言いたいわけか?飛躍しすぎか?メモリリークを発見してくれるなんて,有り難すぎるじゃないか.

情報科学の(あるいはそれを用いた)研究なんて一事が万事この調子で,まともにコーディングも出来ない研究者が,コピペプログラミングの結果得られた怪しい結果を発表する,全くもってオカルトな研究だったのだ.評価にならないので公開しないというコメントもあったが,コード書けないし読めないから評価できないだけなんじゃないのだろうか.